意見の信憑性

「みんなが言っていたから正しい」という意見ほどあてにならない言葉もなかなかない。大抵は「みんなって誰だよ?」と言い返すんじゃないでしょうか?少なくとも私は言い返しますね。そこで悩んでくれたらいいんですけど「みんなって言ったらみんなだよ」と返ってきてそこから進めなくなることもあってこういう場合はウンザリですね。こうなると「こいつにはこれ以上言っても無駄だ」と見切りをつけて話を切り上げます。まあその場合はこちらもそれ相応の覚悟も必要ですけど。で、話を戻して、「みんな」というのはどういうことか?ひょっとしたらメディア知識とかもあるかもしれないがそれだと「みんな」とは言わないでしょう。なので、その人の周囲の人達のことになる。人間が話を聞ける範囲の人間の数など世界人口に比べたら微々たるものだが、それでもその人が話した人全員が同じ意見だとしたらそれは信憑性が高いと思うかもしれない。しかしこれには3つの落とし穴がある。まずは本当に100%全員同じ意見だったか?次にその人の意見があてになるものなのか?最後にそもそも100%になる裏があるんじゃないか?その当たりをちょっと詳しく書いてみる。
まず、全員本当に同じ意見だったか?これは昨日の補完能力に関係するのだが、意見を聞く際に答えが曖昧だった場合、普段の公平な目で見た場合なら補完能力は少ない方を多い方で覆うだろうけど、今回の場合、自分にとって都合のよい方に補完する可能性が高い。それから、すごくなってくるとそもそも自分にとって都合の悪い意見は耳に入らず、都合のよい部分だけ頭に残る場合。さらにすごいのは自分の都合の悪い意見を言った人は聞かなかったことにする。一番すごいのは聞かなかったことにするどころかその人の意見を変えて受け取る。「そんな奴いるのか?」と言うなかれ。意外といます。これの怖いところは本人に自覚のないところ。本人は本当に完全に100%(とまではいかないかもしれないが)だと思ってしまうわけなんですよ。例えば「あいつ変な奴だよな」と平気で言う人は注意。何で変だといえるか聞いてみよう。本当に変なら問題ないが、実は自分の意見と違うから変だと言っていたらその人の意見は全く当てにならない。自分にとって都合の悪い意見を聞いたらその意見を言った人間を否定してそもそも統計母集団に含めない。ので必ず100%になる。すごくなっていると自分だけ違う意見を言って「みんな変だ」となってきたりする。
次に、採取した意見が当てになるかどうか。これはあまり陥らないと思うがそれでもやっぱり陥る人はいることはいる。母集団全員がその人の部下だったらどうか?「部下がみんな似合っていると褒めてくれた」なんて全く当てにならないのは説明するまでもないだろう。下手したら笑い話だ。しかし、気をつけないとついうっかりこういう勘違いをしてしまいかねない。だからこそ接待とかが成り立つわけで(違)
最後に、なぜ100%になりえたか?これは結構盲点だったりする。そもそも回りの人というのはどういった人か?意見を伺う相手は普通は親しい仲だったりするだろう。いちいち嫌いな人間の意見を聞いたりはしないだろう。なので、母集団が親しい仲に限定される可能性がある。では、親しい仲になるにはどうだろうか?それの一つとして意見がよく合う。・・・とまあ、言いたいことは分かりますね。そもそも母集団事体に偏りがある場合があり、しかも決してその可能性が低いわけではない。これの究極的なのが宗教や文化だ。日本にいて常識だと思っていたことが世界では全く通じないなんてよくあることだろう。逆に言えば日本から出てみないことには違う意見が聞けなかったりする。そうなると常に100%になってしまう。
とまあそういうわけで、自分の意見が正しいかどうか、若しくは一般的かどうかというのをその原因から考えてみると実にいい加減だったりすることがよくあるわけで。皆さんも意見がぶつかったりした場合、自分の意見の根底を見てみるといいかもしれません。